1916年は民国5年ではなく洪憲元年とされた。しかし袁の帝位就任は、革命家にだけでなく、軍部の支持に依存しない独裁的支配を袁に許してしまうだろうと思っていた部下の軍司令官にも反対されていた。
袁の帝位就任後、前雲南都督蔡鍔・雲南都督唐継尭らによる反乱が雲南省で、前江西都督李烈鈞による反乱が江西省で始まると、各省は次々に反乱を起こし、反乱勢力は護国軍を結成して護国戦争を始め、残りの各省は帝国からの独立を宣言してこれに続いた。袁の北洋軍の兵士は帝国政府から俸給を一度も受け取っておらず、護国軍に対する積極的な軍事行動をしなかったので、北洋軍は護国軍よりも優れた訓練を受けて重装備だったにもかかわらず大敗を喫した。
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袁の弱体ぶりと不評ぶりを見て、列強は戦争面以外の支持を取りやめた。日本はまず侵攻すると言って脅迫してから、袁世凱を倒すことに傾倒し、闘争の双方が戦争状態であると承認して日本の民間人が革命派を援助することを容認した。内外の反対に直面した袁は政敵に譲歩して即位式を再三延期し、3月1日には式典のための予算も削減された。袁は3月17日に梁士詒と帝政取り消しについて審議して3月22日に取り消しを声明した。年号「洪憲」は3月23日に廃止され中華民国暦が復活した。袁は通算83日間皇帝として君臨した。