第II期のグレート・ゲームは、1917年の2番目のロシア革命から第二次世界大戦の勃発による英露協調までであるが、ユーラシア大陸国際政治史から見ると、1917年のロシア革命からベトナム戦争の終結までの長い期間が背景として視野に捉えるべき期間である。第二次大戦を挟んでイギリスがプレーヤーを降りて米国がその座を占めた。ロシアがソ連に変わり、中央アジアではそれほど激しい抗争が発生しない時期が続いたが、極東においては英国の地位簒奪を狙う米国の介入と、当初はイギリスが用意した駒に過ぎなかった日本が勝手に暴走し始めた事によって、激しい変動が続いた。
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ゲームの駒からプレーヤーになった日本にとって、英国の衰退が決定的となる1930年代まで、ユーラシア大陸における英露対立は外交政策策定における大前提だったが、その思考を固定化してしまったために、ソ連の出現と米国の台頭により複雑になってゆく状況に適合できないまま、東南アジアの英領植民地奪取という“反則行為”によって、英国がゲームを続けられなくなるきっかけを作ってしまい、日本自らはイギリスに替わってゲームに参加した米国によって“出場停止”処分となってしまった。
また、この時期は帝国主義という商法が終焉を迎えた時期、および米ソ超大国の抗争の時期と重なり、中国・朝鮮・東南アジア・南アジアで激戦が続いた。